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| 北茨城市内の文化財 |
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資料は「北茨城市文化財マップ」(北茨城市教育委員会生涯学習課)から |
| 北茨城市内の文化財一覧 | ||
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| 常陸大津のお船祭り | 木造 増長天立像 | 木造持国天立像 |
| 大津の盆船流し | 野口雨情生家 | 花園渓谷(七つ滝) |
| 花園山シャクナゲ群落 | 花園の大杉 | 花園のコウヤマキ |
| 夢窓窟 | 日本美術院五浦研究所跡 | 八坂神社のシイ |
| 手描きこいのぼり | 花園のささら | 浄蓮寺の三十三観音 |
| 岡倉天心の墓地 | 木造薬師如来立像 | 富士ヶ丘棒ささら |
| 大峯の行者 | 木造阿弥陀如来、両脇侍像 | 石沢寺阿弥陀堂(附棟札3枚) |
| 名 称 | 所 在 地 | 管 理 者 | 区 分 | 種 類 | 指定年月日 |
|---|---|---|---|---|---|
| 大津町 | 保存会 | 国選択 県指定 | 無形民族 | S.54.12.07 | |
御船祭は、北茨城市大津町に鎮座する「佐波波地祇(サワワチギ)神社」の祭礼で、5年ごとの大祭に行われる。
祭がいつ頃始まったのか明らかではない。
5月2日の宵祭りでは、夜間暗闇の中で、佐波波地祇神社の本殿より御輿に「御分霊写しの儀」が行われる。 5月3日の本祭りでは、御輿は「諏訪神社」下で神船に移される。御輿を乗せた神船は、水主(歌子)の歌う 御船歌や囃しにあわせて300人ほどの曳き手に曳かれ、約5時間かけて浜の「津神社」下に到着する。 船底には山車のような車輪はなく、ソロバンと呼ばれる井桁状に組んだ約100丁の木枠を敷き、2、30人の若者が 船縁にとりつき左右に揺らしながら木枠の上を滑らすように曳いていく。 津神社下で下船した御輿は、潮垢離の神事を行った後、佐波波地祇神社に環御する。かつて神船は、 海上を渡御していたが、その後海上部分が陸地となったため、現在のような陸上を船が動く形になった。 ●一覧表へ | |||||
| 木造 増長天立像 | 磯原町大塚 | 長福時 | 県指定 | 彫刻 | S.33. 7.23 |
像高154・5cm材質は、檜材で一木式寄木造りである。この象は、昭和37年に指定された持国天とともに
本尊の脇侍としてあったものか、四天王の内の一体であったのかは不明である。両袖の形などに平安時代後期の特徴がみられる。
素朴な彫法でいかにも地方作といった感じのもので、大きな体躯に小さな頭部をつけ、身体の大きさを誇張し、
天部としての威圧を出そうとしているなど作者の気迫が十分にうかがえる。
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| 木造持国天立像 | 磯原町大塚 | 長福時 | 県指定 | 彫刻 | S.37.10.24 |
像高142cm材質は、檜材で一木造背合わせ式両腕挿込み式となっている。
素地、体躯の大きさにくらべ、顔が極めて小さいが力強い彫法を示している。
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| 大津の盆船流し | 大津町 | 保存会 | 県指定 | 無形民俗 | S.54. 3. 8 |
盆船流しは、8月の月遅れ盆の16日の早朝、新盆を迎えた家で麦藁や木で作った盆船を海に流す盆行事である。
船体の中央部には一斗缶などを利用して機関室を作り、船底には砂を敷き、煙突などが作られる。 船尾には舵や櫓を取付け、竹や木で作った帆柱にその家の船名や故人の戒名などが書かれた白帆が張られる。 機関室には線香が焚かれ、船上には供物や生花が置かれる。舳先部と舵部には藁や西瓜、茄子などで作られた船頭が乗せられる。 出来上がった盆船は大津港の波止場に集められ、合同の法要が行われる。式が終わると「じゃんがら念仏踊り」という 天台宗の念仏踊りが披露される。その後、盆船は漁船に積んで沖まで運ばれ、海に流される。しかし、 近年は海を汚さないようにするため盆船の回収が行なわれるようになっている。 ●一覧表へ | |||||
| 野口雨情生家 | 磯原長磯原 | 野口不二子 | 県指定 | 史跡 | S.42. 3.30 |
木造瓦葺二階建(1階34.14坪、2階16.43坪、計50.57坪)、家屋1棟及び宅地448坪が指定されている。
この家は、明治10年頃に、野口雨情の父野口量平によって建てられたもので、その後一部改造されている。
「七つの子」や「しゃぼん玉」などの作品で知られる童謡詩人の野口雨情は、明治15年(1882年)が
ここで生まれ15才ごろに上京するまでここで育っている。保存状態はよく、雨情の詩心をはぐくんだ景観が今も残されている。
また、野口家は水戸藩第2代藩主徳川光圀が逗留し、「観海亭」名付けるなど水戸徳川家との所縁も深く、 古文書なども保管されている。 ●一覧表へ | |||||
| 花園渓谷(七つ滝) | 華川町花園 | 花園神社 | 県指定 | 名勝 | S.27.12.18 |
七ツ滝は、花園山付近に源を発する花園川の侵蝕によって作られた花園渓谷にある。
滝幅は狭いが、高さは約60mくらいで、花園神社奥ノ院の参道にそって一ノ滝から七ノ滝まで7段になって落下している。
とくに三ノ滝が最も壮観で、岩をうがった滝壺には「鮑」が生息している、という伝説がのこされている。
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| 花園山シャクナゲ群落 | 華川町花園 | 花園神社 | 県指定 | 天然記念物 | S.11. 4.17 |
シャクナゲは、ツツジ科の常緑灌木である。指定地付近においては、
5月の連休付近に薄紅色の花を咲かせる。かつては、花園山一帯に自生し、群落を作っていたようであるが、
現在は七ツ滝の周辺及びごく一部分に見られるだけである。
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| 花園の大杉 | 華川町花園 | 花園神社 | 県指定 | 天然記念物 | S.35.12.13 |
樹高45m、幹囲7・5m、樹齢500年を数える。本樹は、地上10mの所から3本に分かれているので
通称3本杉と呼ばれている。昔、根元に熊野神社が祭られていたため熊野杉とも呼ばれている。
樹勢良好で、那珂郡美和村の三浦杉と匹敵する巨樹である。
この花園神社の境内には、200本といわれる巨杉がはえており、幹囲6m前後のものも数本見られる。 ●一覧表へ | |||||
| 花園のコウヤマキ | 華川町花園 | 花園神社 | 県指定 | 天然記念物 | S.35.12.13 |
指定されているのは、花園神社拝殿前の左右2本のコウヤマキである。2本ともに、樹高30m、
幹囲4・42m、樹齢600年を数える。古来より「天狗槙」と呼ばれている。 コウヤマキは、
日本特産の常緑喬木で和歌山県の高野山に多いことからこの名がつけられている。本州の中部地方以西、四国、
九州方面に分布し、自生している。茨城県内には自生例がないため、ここのコウヤマキは祈願者が奉樹したものと
思われる。2本ともに樹姿も美しく県内随一の巨樹である。
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| 夢窓窟 | 磯原長磯原 | 臼庭正一 | 市指定 | 史跡 | S.59. 7. 5 |
磯原町の「吟龍院」から西に、古墳時代後期の墓「尾形山古墳群」が広がっていて、
この中の1墓、大型の家型横穴墓が夢窓窟である。羨道部と玄室部が残されており、玄室は長さ5.1m、
幅2.8m、奥壁高2mである。奥壁部には、段差によって、棺座が区画されている。
嘉元3年(1305)5月、地元の比佐居士の元に滞在し、そこで悟りを開いたという鎌倉時代の禅僧 「夢窓国師」が、この横穴簿で座禅を組んだという言い伝えがある。 ●一覧表へ | |||||
| 日本美術院第1部 五浦研究所跡 | 大津町五浦 | (財)日本ナショナルトラスト | 市指定 | 史跡 | S 59. 7. 5 |
明治39年(1906)11月、岡倉天心は、東京谷中にあった日本美術院第一部を大津町五浦に移転し、
椿浦の絶壁の上に研究所を建設した。研究所には、天心の居室、天心とともに五浦に移住した横山大観、菱田春草、
下村観山、木村武山の作画室、研究会員の作画室が設けられていた。彼らは、近隣に住み、ここへかよい天心の指導を受け、
画業に精進し、多くの代表作を生み出した。
ここは、天心遺跡記念講演として整備され、由緒にちなんだ筆塚や井戸なども作られている。 ●一覧表へ | |||||
| 八坂神社のシイ | 大津町北町 | 八坂神社 | 市指定 | 天然記念物 | S 59. 7. 5 |
大津町北町にある「八坂神社」の神木である。最大周囲13m、根本の周囲9m、高さ25mで、
樹齢は600年とされている。地上3 mのところから二股になり、それぞれ雄大なる枝張りを示している。
主幹の部分は髄が腐食しているため、地表近くでは空洞となっている。
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| 手描きこいのぼり | 大津町 | 藤田政行 | 市指定 | 無形 | S 60. 5. 9 |
大津町の「藤田正行」(4代目)氏が伝承する明治時代に始まった手描きこいのぼりの技術。
白布(キャラコ)に下絵を描き、彩色を施す。次に描きあがったものを裁断し、裏返しにして製法という行程をたどる。 このようにして、4.5から9m位のこいのぼりができあがる。 初期のものの材質はつなぎ合わせた和紙であったが、現在は布を用いるようになり、 形も胴を太くして泳ぎ方を勇壮にするなど改良が重ねられ現在に至っている。 ●一覧表へ | |||||
| 花園のささら | 華川町花園 | 花園神社 | 市指定 | 無形民族 | S 60. 5. 9 |
5月5日、華川町花園にある花園神社の例祭で、笛・太鼓とともに演じられる獅子舞である。
8歳から13歳までの男児が演じる角2本の親獅子・寄獅子、角1本の牝獅子からなり、
優雅にして野趣に富み、古い型をよく伝えている。
その縁起は古く、前九年の役のおり、源頼義・義家父子が先勝祈願のため奉納したのが始まりとされている。 現在使われている獅子舞は、江戸時代末期の作と伝えられている。 ●一覧表へ | |||||
| 浄蓮寺の三十三観音 | 華川町小豆畑 | 浄蓮寺 | 市指定 | 史跡 | S 60. 5. 9 |
華川町の浄蓮寺遊歩道に点在している三十三観音は、観世音菩薩が三十三に姿を変えて
人々を救うという説に基づき、1箇所で数多くの観世音菩薩を拝み、多くの人々に功徳をさせようという目的でつくられたとされる。
この観世音菩薩は、石仏と磨崖仏があり、どれも40cm前後で、江戸時代に制作されたと考えられる。複数体の如意輪観音、 聖観音、馬頭観音、准胝観音、千手観音、不空羂策観音、十一面観音等の諸観世音菩薩と地蔵菩薩1体がみられる。 | |||||
| 岡倉天心の墓地 | 大津町五浦 | (財)日本ナショナルトラスト | 市指定 | 史跡 | H 元. 7.24 |
大正2年(1913)9月2日50歳の若さで亡くなった岡倉天心は、東京の染井墓地に埋葬された。
9月末、天心の辞世と伝えられる歌に込められた意志を汲み、五浦の地に染井墓地と同じ
土饅頭型の簡素な丸い墓をつくり、分骨が行われた。
我逝かば 花な手向けそ磯千鳥
呼びかふ声を印にて
落葉に深く埋めてよ
十二万年名月の夜
弔い来ん人を松の影●一覧表へ | |||||
| 木造薬師如来立像 | 中郷町松井 | 松井区長 | 市指定 | 彫刻 | H 元. 7.24 |
応永4年(1397)中郷町松井に開山された東林寺の薬師堂に安置されている。
江戸時代末期に東林寺が廃寺となった後は、薬師堂のみが地元の人々によって守られてきた。
檜材の寄木造り、高さ161.9cmの等身大像で、穏やかな顔、衣紋の優雅な流れを見せるこの仏像は、 頭部の螺髪や着衣の表現様式からみて14世紀初頭の作と推定される。 ●一覧表へ | |||||
| 富士ヶ丘棒ささら | 関本町富士ヶ丘 | 保存会 | 市指定 | 無形民族 | H 4. 5. 6 |
関本町富士ヶ丘地区に伝承されるこのささらは、「大塚神社」に奉納されてきた。
行列の先頭には、つゆ払いの天狗様が立つ。旗や吹き流しの梵天がひるがえる中、笛、太鼓の鳴り物にあわせ、 小児によって、角2本の雄獅子2頭、角1本の牝獅子3頭の獅子舞が演じられる。それとともに、 伝承されている棒術が演じられることがこのささらの特徴で、名前の由来にもなっている。 このような棒術とささらの組み合わせは、隣接するいわき市においてもみられる。 | |||||
| 大峯の行者 | 磯原町大塚 | 周山会 | 市指定 | 絵画 | H 7. 7.21 |
この絵の作者、飛田周山は、明治10年(1877)、磯原町大塚
(旧多賀郡大塚村)に生まれた。日本美術院研究所などで日本画を学び、大正・昭和期の
画壇において活躍を続けた。同地にある長福寺には、彼の銅像とともに顕彰碑が建てられている。
紙本彩色、長さ234.5cm、幅147.3cm、周山晩年(63歳、昭和15年)の 大作であるこの絵は、紀元二千六百年奉祝展に出品された。 ●一覧表へ | |||||
| 木造阿弥陀如来 及び両脇侍像 | 華川町中妻 | 石沢寺社寺総代代表 | 市指定 | 彫刻 | H 7. 7.21 |
華川町中妻にある石沢寺の本尊阿弥陀如来像は、高さ69.2cm、台座高18cm、
左侍の観世音菩薩像は、高さ84.5cm、右脇侍の地蔵菩薩像は、高さ74.9cmである。
3尊ともに榧材の一木彫り成像で、平安時代末期(12世紀後半頃)作と思われる。後補部分もみられるが、
当初の像容を完全に失ってはいない。阿弥陀如来で、脇侍に観世音、地蔵の両菩薩を配する形式は
非常に珍しく、当初からこの形式をとっていたかどうかは明らかではない。
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| 石沢寺阿弥陀堂 (附棟札3枚) | 華川町中妻 | 石沢寺社寺総代代表 | 市指定 | 建築物 | H 7. 7.21 |
華川町中妻の石沢寺阿弥陀堂は、方3間、寄せ棟造りの小規模の堂だが、組物、軒、
内部の架構は本格的で、江戸中・後期の特色を良く示している。
屋根は本来茅葺きであったが、現在は銅板で覆っている。
ここには、元和4年(1618)、明暦3年(1657)、宝永10年(1760)の 3枚をはじめとする棟札が残されている。これらの棟札から、現在の建物は宝永10年に建立され、 明治7年、大正2年、昭和48年に部分修理が行われていたことがわかる。 ●一覧表へ | |||||